菊一文字

鎌倉時代初期、福岡一文字派の 『菊一文字則宗』 は、現存するとすれば一億円はくだらない国宝級の銘刀とか。

Wikipediaによれば、
後鳥羽上皇は諸国の名刀工を招いて鍛えさせ、親しく焼刃をしたと伝える。則宗は御番鍛冶を務めた事から、後鳥羽上皇が定めた皇位の紋である16弁の菊紋を銘に入れることを許された。一文字派は銘を「一」とだけ彫り、この刀はそれに加えて菊の紋を彫ったので菊一文字と称するようになった。

ただしあくまで称したのであって、「菊一文字」と言う銘の刀は存在しない。それに現存する則宗の刀の中に菊の銘を切ったものは確認されていない。おそらく後世の人々が御番鍛冶の筆頭を務めていた則宗だから菊文を切ったに違いないと考えた為に則宗の刀が菊一文字と呼ばれるようになったのではないかと思われる。則宗以外の刀工でも菊と一の銘を彫る刀工は何人か存在したが、これも銘は菊一文字ではないし、菊一文字と一般的には称しない。
との事です。

その菊一文字と新撰組一番組組長沖田総司との逸話。
新撰組にまつわる幾つかの短編をまとめた、司馬遼太郎原作 『新撰組風録』 の中でも私が一番好きな物語なのですが、あらすじは、
沖田総司が自身の刀を研ぎ師に出すのですが、剣士としての総司を愛してやまない刀研ぎの主人が、「研ぎ上がるまでの間、この刀をお持ち下さい」 と言って、菊一文字を預けるのです。
そしてその帰り、総司は陸援隊の剣客戸沢某に遭遇してしまうのですが、借り物である菊一文字を傷付けるのが嫌で、その場から逃げてしまったのでした。

鉄の掟の新撰組の事、敵前逃亡を犯せば切腹が待っている筈なのですが、その話を聞いた近藤勇と
土方歳三は、「総司らしいな」 と言って笑って済ましたのでした。この三人は多摩郡・試衛館以来の仲間で、兄弟のような絆がありますからね。

ところが数日後、労咳に苦しむ総司のために、医者から薬をもらって来てくれたりしていた老隊士が
戸沢に斬り殺されて屯所へと運び込まれて来たのです。そして、それを見た土方が、「お前があの時
戸沢を斬っておれば・・・・・」 と言って、総司を責めたのでした。
逃げた事を後悔し、老隊士の死を悲しんだ総司は、『菊一文字で戸沢を斬る』 と密かに心に誓ったのでした。

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あああああああああああああああああああああああああああああああああNHK BS ホームページより。
と、こんな話なのですが、NHK BSプレミアムで放映された新撰組風録・菊一文字の巻。アホな脚本家が色恋沙汰を絡めたつまらない物語に改悪していたのです。
小説では、総司が戸沢を一刀の下に斬り倒す場面も、もっと味わい深い物語になっていたのですが、単なるチャンバラ活劇にしてしまっていた。
放映されるまでは、どんな出来になるか楽しみにしていたので、まったくもってガッカリです。
小説をテレビドラマにする場合、原作通りには行かない事は承知しているのですが、もう少し原作に忠実でもよかったのでは?
原作通りにドラマを作る事は沽券に関わるとの想いがあるのかもしれませんが、それも原作を超えるような出来栄えであっての話。研ぎ師と総司の琴線に触れるような微妙な心の交わりも読ませどころなのですが、ドラマではまったく描き切れていませんでした。
その後の菊一文字がどうなったか?何やら事実と小説とが微妙にからみ合った、泣かせる物語にもなっているのですが、総司と菊一文字の関わりは、残念ながら作り話のようですね。

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この本を以前読んだ時は図書館からの借り物でしたので、改めて買い求めてみたのですが、本をレジに持っていきますと、「カバーをおかけしますか?」 と必ず聞かれます。
本にカバーをかける。この習慣がいつから始まったのかは知りませんが、資源の無駄遣いじゃないかと思いますね。それに、本の表紙作りには専門のデザイナーがいて、本の内容に合ったものにするために頭をひねっていると思うのですが、その表紙をあまり美しいとは思えないカバーで覆ってしまうのはいかにも勿体ない。
レジが混雑している時は余計な時間を食ってしまいますしね。
NHKのCOOL JAPANでは、「電車の中でカバーのかかった本を読んでいる人が居たので、他人には見せられないような本なのかと思ったら、ガーデニングの本だった」 と笑われてましたよ。
外国人に日本叩きの口実を与えないようにしないと。


話は変わりますが、その時代の流れを考慮しない後世の評価は鵜呑みにしない方がいいようですね。
例えば新撰組。人斬り集団のように言われて悪評ばかりを聞かされて来ましたが、その時代の激しい潮流の中では、むしろ純粋だったのではと思えるのです。
石田三成もそうですよね。徳川家康に逆らった極悪人のように教わって来たのですが、それは徳川側から見た史観であって、一番腹黒かったのは家康の方でしょう。
日本の自虐的歴史観も同じ。偏向した政党やマスコミに惑わされないようにしないと。

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